Neetalive’s diary

読んだ本の紹介や雑記

福祉としての安楽死 自殺幇助を合法化すべきである是か非か。

neetalive.hatenablog.comここで考えたことの延長だ。意思決定する能力がもはやなく、生きることが苦痛な場合は死ねるのだろうか?老齢とか労働能力があることを理由に必ず延命するのは価値があるのだろうか?生きていることをどのように考えるか。高齢者を延命させることで将来の世代がデメリットを受けるなら、それは道義的に間違っていないのだろうか?

死刑は公共の福祉のために認められている。なら、高齢者の延命が公共の福祉を害しているならこれをどう考えるか。他者の幸福追求権を侵害していないなら、自殺幇助は肯定できるのではないか?子供の自立を求めているのに、なぜ年金に依存した生活をしている人々は非難されないのか?

いろいろ疑問はあるが、肯定、否定双方が共有するのは公共の福祉を優先するということだろう。生死に関する社会的コストを認識する必要がある。

肯定側の方向性は、自己決定権の確立、医療のミスマッチ解消、長期的な家計、公的負担の減少が見込める、などがあげられるか。もはや生き続けることがコストになると、それは他者への負担となる。これを何とかできることは意義がある。高齢者医療に使われるコストは別の分野に振り向けられるであろうリソースを奪っているかもしれないのだ。これは無視できない。

否定側の方向性はどうだろう?自殺ほう助によって医療サービス側の不手際が隠蔽されやすくなる、意思を表明しづらい人々が周りの意見によって自殺ほう助をしかねない、などがあげられるか。

プランは、自殺ほう助は本人の希望によって指定された責任者が実行するものとする。第三者の監察を設けるものとする。

立論の中身か。中絶と自殺幇助の関係を考えるのも面白いかもしれない。