Neetalive’s diary

読んだ本の紹介や雑記

社会主義国の転職

ソ連では転職は多くの人がしていたらしい。これによれば品不足によって労働需要が過度にあったため条件の違うところを求めて自発的に転職が繰り返されていた。

:http://hdl.handle.net/2115/31968

国営企業でもダメなところはつぶれて労働者が他に行ったということだろう。中央政府の経済部門が計画を立てるので他の企業が確実に存在する。これも大きいか。企業の裁量が少ないのだから企業の責任も小さく経営者の裁量も小さいのだろう。だから経営者の意向ではなく政府の意向さえ分かっていればよかったということか。

農産物の生産、生活必需品の物流に問題があったのでいつでも物が買えるというじょうたいではなかっただろう。だが資金自体が少なければ選択肢自体生じないのだから簡単に比較できなさそうだ。私は食住があって本を読む時間があれば満足できるのだが、図書館の質はこれだとどうなるだろう?ソ連の強権的な印象はスターリン期のものでそれ以降は個人にとっては楽な状況だったらしい。それなら本の内容や図書館ももそこまで悪影響は受けなさそうだ。

なにがまずかったと言えば一部の管理者の仕事を増やしすぎて柔軟に分担できなくしたことであり必ず労働環境を用意しなければならなかったことだ。それでは人口が増えるごとに管理者の負担は増えるし限界が来る。それでバイアスがかかって悪循環になる。効用を生み出すことが社会的な意義であって労働はそのための過程ということは忘れてはいけないだろう。過程は柔軟に変えられる。効用も多様だ。だから過程をいろいろ選べる。時給なんてだめだ。時間で縛る労働キャンプじゃないか。選ばせているようでそうじゃない。物理的に時間が限られるようになるんだから。

無駄に選択させても誰も得をしない。いちいち興味ないことを、例えば何を食べるかについて考えたいだろうか?ほしいのは健康であって食事の内容ではない。それなら統一的な基準を作ったほうがいい。人の配置も一つの組織が担えばいい。それこそ日本人材公社のような。それで統一的に管理できれば漏れもないし何より無駄に選択肢を提示されて疲れることがへる。人間の認識は有限なことを忘れてはいけない。

実質的な、疲れない自由がほしい。