Neetalive’s diary

読んだ本の紹介や雑記

欲求について

炭水化物を得づらい状況に適応しようとして糖尿病の原因が生まれてしまったように人体にもともとあった機能が状況の変化によって逆に負の効用を生み出していることがままある。そこで欲求というのはどうかと考えてみた。欲求が進化論的にどんな意味があるのかということだ。

食欲について。これは体を機能させるためにエネルギーを得る必要があるが、それを定量的にではなく定性的に知らせるものだ。だから曖昧だしきっかけがわかりずらい。この欠点は、不足の状況を想定しているようなのですぐにエネルギーになりそうな高カロリー、高脂質のものに認識を向けやすくしている。狩猟をして動物の内臓まで食べている段階はこれでよかったかもしれないがそういう機会は著しく減ってしまった。それに農業が始まったので摂取する内容が変わってしまった。ここに問題が生まれた。分業された状況でどんなふうに栄養を得るか?という問題が。

ファーストフードの中毒になってしまうのもここに理由があるのだろう。形式的にはファーストフードを摂取するのは生存に有利かもしれないが、それは生物としてであって人間社会としてではない。それに人間の認識は常に変わる。だが遺伝子自体はゆっくりと変化する。この齟齬だ。

睡眠欲はいいか。なら性欲だ。これも基本的に機会の不足を想定しているはずだ。そう考えるとなぜ繁殖期というのがあるのか理解できるだろう。そもそも機会自体が限られていてリソースも限られているのだから少ない時間で有利な状況を選ぼうとするはずだ。そもそも機会に満ち溢れていれば欲求というのは存在し得るのか?しかしここでも問題がある。持続可能な状態かどうか?だ。

仮にプレイヤーが男女均等で生殖可能だとしてもリソースの存在は不明瞭だろう。それに認識は完全ではない。なので齟齬が生まれることになる。欲求に進化論的な理由があるとするなら、こういうところにあるかもしれない。ファーストフードに対する認識と同じように遺伝子が変化した状況に対応していないのだ。

そもそも人体の構造は行き当たりばったりにできている。完全であるならなぜ盲点がある?これと似たようなことが認識なり、欲求にあるはずだ。なきゃおかしい。

もし完全な人体を作るとしたらどんなふうになるだろうか?それが問題だ。