Neetalive’s diary

読んだ本の紹介や雑記

なぜ現実はくそげーたり得るか

オンラインゲームで知らない人からアイテムを送られることはないだろうか?こういうのがニートを生かすかもしれない。現実はオンラインゲームのようにちゃんとしたguiがない。だが贈与経済を機能させれば確実に生活の質は上がるはずだ。意外と他人にものを送って喜ぶ人は多いのではないのか?それだ。

要するに見知らぬ人に課金するわけだ。guiのほかになにがある?ちゃんと動くサーバー?データベース?面倒なコミュニケーションを要求しないプラットフォームか?現実の物体なり資産とゲームの概念を結びつけるのも必要か。例えばゲームの行動で不動産屋を通さずに家に住めたりできるようにするとか、フリーランチを実装するとか。

ちゃんと暗号化した通信はもちろん必須。現実に必要なあらゆるサービスをすべて使えるようにすればもっとシンプルに生きられるはず。ゲームの同盟関係が現実の事象にも影響できるようにするにはこれが有効だろう。現実でも物は余っているのだ。

ゲームのよさとは何か?例えばチェスはルールは簡潔だ。しかしコマの動かし方には多様性がある。ビショップとナイトの配置からそれがわかるだろう。現実にはそういった見えやすいルールというのが案外不足している。なので囚人ゲームのようなことが起こりうる。ゲームには簡潔さ、見通しのよさ、何度でも繰り返したくなる楽しさがある点で現実よりも優れているだろう。こういったものと現実の要素を組み合わせれば囚人ゲームを予防できるかもしれない。