Neetalive’s diary

読んだ本の紹介や雑記

教師養成の経済

教育を受ける側の状況を分析した作品はいろいろあるが、

https://www.nippon-foundation.or.jp/app/uploads/2019/01/wha_pro_end_07.pdf

将来、他人を教育する側の分析はあっただろうか?今の私には見つけられていない。どんな状況下で、教師になる人が生まれて学校で働くようになるのだろうか?これを思うようになったのは、なかなか教師になるような人が周りに見当たらないことだ。特に、大学院に行く人のなかで教師になったと聞くことは全くない。

大卒と言っても、論文を書かなくても卒業できる。そのうえ、教師の場合は、教員採用試験に合格しさえすれば教師になれる。ここに何が働いているのだろうか?

なぜか疑問なのだが、教員資格はそんなに大事なものだろうか?引退したエンジニアは自分の興味があることのほかに数学は教えられるだろう。それも自分が経験してきたことと組み合わせながら。こういうことを小中高の教師ができるだろうか?難しいだろう。

それなのに、子供の仕事をどうしたらいいのか考えたりしているのだから、頓珍漢なことをしていたとしてもおかしくない。大学の場合は、企業にいた人が大学院に行って、それから教授になることがあるからどんなふうに物事を選択するのかについてアドバイスをくれることがある。小中高で違うのはこういうところだろう。高専はまた違うだろうが。

引退した人を招いて教師にしたほうが面白いはずだ。引退していない人でもいい。教師はあくまで視学官のような立ち位置で働いてもらえばいい。チームリーダーだな。

教員採用試験の内容はそこまで難しくはない。実習が問題だが。そもそも、なぜ教室で教える必要があるんだ?自宅学習で単位を取れるような制度を作ってもいい。こういうのは請願すれば通ったりするんだろうか?学校の維持管理、訴訟リスクを考えても学校運営のコストは馬鹿にならない。

学校はたまに人が集まる場所でいい。皆勤賞なんてブラック企業を養成しているようじゃないか。出席で点数が加わる仕組みも、出席が足りなければ単位を認められないのもおかしい。