Neetalive’s diary

読んだ本の紹介や雑記

彼女は頭が悪いからについてと認知のゆがみ

 

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

 

 この本は集団強姦事件をもとに書かれているフィクションらしい。これから読むからここからの文章は知り合いに聞いた伝聞が混じったものとなる。東京大学の学生が顔なじみの女性にセクシャルハラスメントをするというもので、それをとりまく状況を書いているらしい。女性を評価する基準やそれを受けて行動を決める女性、そういうのを利用する男性など。

ここで思ったのがよく特定の人間に関心を持ち続けられるかというのと、外道なことをしている人にはいろんな種類があって、あまり想像力も哲学もない人が何の疑問も抱かずに強姦のようなことをすることがいるというもの。どちらも不思議だ。女性に関心があるならまずは解剖をしてみるのが先だろう。もちろん医学部の許可を取ったうえで。または女性を複製すればいい。方法はいろいろあるだろう。妄想もよし、絵画もよし、人工生命だっていい。

しかしそういうのはここであまり問題にならない。登場人物がなぜか互いに甘えているような描写があるようだ。しかしだ。人と疎遠になって死ぬことがあるだろうか?強姦は合意の有無で判断されるという。そこで問題になるのは意志というのが万人に共通されているほど明確な存在なのかというものだ。人間の認識はどこかしら歪んでいる。これは精神的な経験からのものではなく、目の構造、特に盲点の存在からいえることだ。ならそこから生まれる判断という所作も歪むことは想像に難くない。

ということを考えていて気付いたのだが、登場人物はそこまで変態ではなくただ前から知っていた人におかしいことをしてしまっただけだ。変態ならもっとユーモアに富んだことをするはずだ。パンツ仮面のように。そういうユーモアとか表現の幅とかは登場人物には見られない。あるのはただ認識のづれ、なれ合いだけだ。変態はそこまでなれ合わない。変態はなぜか変態らしいことをユーモアに包んでできる。これは難しいことだろうか?工学部の人らしいが、なぜ女性を作ろうと思わなかった?ただ慣れ合うだけで満足できるのか?私には無理だ。そんなことをやっても結局現実に限定すれば現実の人間にしか関われないし、ファンタジーのような面白さがないことに気づいてしまう。

こういう事件はハーバードやスタンフォードであった。調子乗ったスポーツ選手がやっていたらしいが。mitでは聞かない。こういうユーモアもないし、考えるセンスがない人間というのはどこにでもいるかもしれない。

英伝にポプラン中佐がいるが、この人は女好きだがちゃんとユーモアがあるし、人にものを進めるセンスを持っていた。こういう接し方が多分いいかもしれない。今の私にはこれくらいしかわからない。チェスと同じように女性との接し方を考えればいいのかな?強姦をした人には何の感情もわかないが、なにか変態じみていてユーモアのあることをしてほしかった。強姦しても動物とそんなに変わらない。ユーモアがあるからこそ人間というものだろう?