Neetalive’s diary

読んだ本の紹介や雑記

エロの哲学的な意義

エロというのは様々な広がりがある。芸術の題材や音楽もそうだし、遺伝アルゴリズムフィボナッチ数列のようなものまで幅広い。ここでは女性を芸術的な存在とみなして話をすることとする。

デッサンの題材にはうってつけだし、とっつきやすいだろう。ガチムチな人はなかなかいないが適度に脂肪が付いた人は身近だからだ。そこから解剖学に広げてより動きのある絵を描くことができるだろう。なにより妄想を絵によって現実にできることがいい。cgでもいい。

エロからcgに興味を持つことがあるだろう。cgはどのようにレンダリングされているのかとか、実装がどうなっているかとか、幾何学とか。演出にも興味を持つかもしれない。構図によって直接エロを描かなくてもエロを表現しようとしたり、エロ自体の定義を変えてみたり。

コンピューターサイエンスに関して。巡回セールスマン問題もかわいい女の子に生きている間にどれだけ会えるかという問題に置き換えて考えてみればいい。経路の組み合わせや、統計データとの組み合わせなど想像が広がる。コンピューターヴィジョンは見るということはどんなことか考えるきっかけになるだろう。認識を別の形で表現するのだ。

医学では解剖学が想像しやすいかもしれない。人体の構造に惹かれるならわかるはずだ。筋肉と脂肪の付き方とか、体の動き方とか。体内で何が起きているかにも興味がわくだろう。ホルモンとか神経回路とか。

エロ自体は顰蹙を買うかもしれない存在かもしれないが、エロの周辺には豊かな題材が転がっているのは確かだ。ウィトゲンシュタインは語りえぬものには沈黙せねばならないといったが、エロはどうなんだろうか?