Neetalive’s diary

読んだ本の紹介や雑記

選挙カーによる経済的損失

選挙カーに伴うコストは投資になるのか?浪費になるのか?名前を知ってもその人のことがわかるかといえばそうでもない。人は知らなければ敬意を払いにくい生き物なので名前を知っているだけでは知ろうともしないし、敬意も払えないだろう。こういうことからいうと浪費だろうか。承認欲求おばけのような人には魅力的に見えるかもしれないが。だったら専用の集会をすればいい。多分休日の16時ごろ、選挙期間中に一回くらいなら来ると思う。住民の5パーセント、人口が40万人くらいならそれだけでも相当のものになるだろう。

騒音による精神状態の悪化、それによる生産性の低下。これが大きいのではないだろうか?不愉快な時にいい仕事ができるだろうか?相手は合法的に騒音を出していいことになっている。その事実はなおさら今の状態を惨めなものに思わせるだろう。抗議してもその場限りの対応で、法律を改めない限りなくなることはない。実証には定量的なデータが必要だ。サンプリングしてみるか。しかし高速道路は騒音対策がなされているし新幹線もダイヤに気を使っている。それなのにどうしてこうなった?

選挙カーは騒音公害ではないかという問題。法的にはどうなんだろう?請願すればなんとかなるのだろうか?公が発する音に警報やパトカーのサイレンのような緊急時に必要なものがあるがこれはそれにあたるのだろうか?ここで問題になるのは緊急性や、必要性、公共性があるかどうかだろう。これはトレードオフの問題で断定できないかもしれないが論証の方法次第でなんとかなるかもしれない。救急車も深夜の時は音を出さないようにしていたがこういう風にできないのだろうか?

私は選挙カーは有害だと考えている。奉仕すべき国民の足を引っ張っている。経済的損失以前に議会政治を冒涜しているのではないかと思えるようになった。名前だけで仕事ができるのか?そう考えているなら思い上がりも甚だしい。選挙カーで喧しくするということは、声が大きい人間の意見だけが通ると自分で言っているようなものじゃないか。こんなのが民主主義ってもんだったのか?こういうのにこそ反政府活動をしたほうがいい。学生団体の皆さんはこれを問題にしたほうがいい。選挙カーを黙認するということは自分を攻撃する人間のために貢いでいるようなもんじゃないか?